1911(明治44)年、女性文芸誌『青鞜』の創刊の辞は、このフレーズで始まった。平塚らいてう(雷鳥)の筆になる。1898(明治31)年制定の民法が家父長制をとり、女性は男性に従属するものとされた時代に、異議ありののろしをあげたのである。元始の女性が太陽であったのに、明治の女性は、他によって輝く青白い月であると檄文は続く。この後、らいてうは、自由恋愛、同棲と、能動的な男女関係に果敢に飛び込み、スキャンダルの的となった。
日本古代の太陽といえば、女神「天照大神」がイメージされる。『古事記』によれば、伊邪那岐命が禊をし、左目を洗ったときに化生した女神である。右目から、月読命(男神)、鼻から須佐之男命(男神)も化生し、三貴子と呼ばれる。あるとき須佐之男命が、やんちゃに暴れ回り、怒った天照は洞窟に隠れ、世は闇に閉ざされた。困った神々はさまざまな儀式を行ったが、やがて天宇受買命が神懸かり、ヌードで踊ったため、神々がどっと沸いた。天照大神がいぶかってわずかに洞窟の岩戸をずらしたのをきっかけに、なんとか外に引き出したという。これが、日本で最初のストリップであると唱える人もいる。古代はおおらかであった。